朱に交われば赤くなる

雑記

おはようございます。

タイトルの意味を調べてみると・・・

交わる仲間や友人によって感化されることのたとえ。人は周囲に影響されやすく、交際する相手によって善にもなれば悪にもなる。

コトバンクより

人間は良くも悪くも周囲の環境や人間に影響を受けるという例えです。

自分が好ましいと思う環境に身を置けば、いい影響を受けます。

自分が好ましくない環境に身を置けば、悪い影響を受けます。

意味合いとしてはシンプルは意味合いかと思います。

良い悪いは価値観

この環境ということですが、あくまで当人が良いと思うか、悪いと思うかというところが難しいです。

当人は悪いと思っても、別の人から見ればすごく良いと思われていることもあります。

また当人はよいと思っても、別の人から見れば悪いと思われていることもあります。

ですので、仮に努力をして目標を達成するような人たちばかりがいる環境を好ましく思う人にとっては、その環境はいい環境でしょう。

逆に努力もせずにほどほどに過ごしていくことが好ましい人にとって、努力や目標達成を重視するような環境は苦痛で仕方がないと思います。

競争社会だから、競争するのがいいという決めつけは危ないのかもしれません。

とめどもない競争が、病気やコンプライアンス違反などを引き起こした場合、それは問題かと思います。

しかし逆に、努力や目標達成のない環境では、お互いに傷口を舐めあったり、正しいと思われる価値観を共有できていなかったりする事例が多いような気がします。

集団は確かな朱を示し続けること

集団に所属するということは、その集団の中心が朱という個性、存在意義を示し続けていくことではないかと考えます。

その朱を理解できないもの、それに向けて努力しないものはその集団にには居づらくなります。

かと言っても、その環境に合う、合わないというのは必ずあります。

そこで重要なのがその朱を示し続けること、その朱の意味合いを理解してもらうために働きかけ続けていくこと。

言葉としては、話し合い、議論、コミュニケーション、指示、教育、指導などと表現は変わります。

言葉は違えど、その集団の存在意義、その集団に所属する意味合いを皆で共有し続けること。

そうでないと、集団としての力が弱まり、全体としての力が弱まると、自然個人としてもうまく機能しなくなります。

個人の価値観が集団と合うかどうか

人間は成長であろうと、成長でなかろうと日々変化し続ける存在です。

社会で生きていくということは、何らかの集団に属していくことだと思います。

できれば、自分の考え方や価値観に合った集団に所属できるかどうかが人生に大きく影響を与えます。

それにはまず自分を深く知ること。

そして所属する集団のことをよく知ること。

そうすれば、無理なく自然に価値観のあう環境の中に身を置いて、成長や自己実現がはかりやすいと言えます。

今自分が苦しかったり、無理をしないといけなかったり、おかしいと感じることが多い日々ならば、それは、集団の価値観と自分の価値観に大きな隔たりがあるということかもしれません。

まとめ

とりとめないのない話かもしれませんが、集団のほうにも朱を示し続ける理由があり、

個人ほうにも必ず朱があります。

集団とは、家族、友人から始まり、地域や学校、会社組織、広く社会一般も集団です。

自分の色に近い朱を見つけて、その中で生きていきたいですね。

明日も早起きします。

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