不器用と器用

雑記

おはようございます。

学校では嘘はついてはいけませんと教えます。

でも社会に出たら、平気で嘘をつく人がいます。

それを咎めようとは思いません。

嘘そのものにもいい嘘と悪い嘘があると思うからです。

でも正直な人ほど、とまどったり、苦しんだりするんではないだろうかと思います。

正直者が馬鹿をみることはあります。

これも程度の問題ですが、正直も突き詰めて、大正直でいくと、馬鹿をみるものかどうかと最近考えています。

これは結論からいえば、覚悟の問題ではないかと思うからです。

いうなれば、馬鹿を見ることを前提で正直であることをあり方として選択できるかどうか。

自分が正直であるということと、自分以外が正直であることは別の問題です。

場合により正直でいられない人を責める資格があるかどうか。

でもその人が正直でなくても、自分は正直であることを選択することはできる。

これは結構大きな覚悟がいります。

でもそれを選択することで、自分はよくとも、人に迷惑をかけることになればどうでしょうか。

自分がそれにこだわったあまり、周りの人が不幸になる場合に、その在り方が選択できるかどうか。

その場合に正直でいられなくなったとしても、それはそれで人が助かるのなら正解の場合もあるでしょう。

でも今度は自分に対して不誠実であれば、自分を苦しめることになります。

このように状況によって、ある一つ資質でもって突破していくのは、なかなか生きづらい。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

とかくに、人の世は住みにくい。

『草枕』 夏目漱石  岩波文庫 

昨日はそんなことを考えながら、草枕を思い出していた一日でした。

でもどんなときでも正直でいることは、とても大事なんではないかと思います。

明日も早起きします。

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